現在、当道院では6月と 9月の昇段試験に向け、48歳の男性門下生二人が修練に励んでいます。
一人は他流派の経験を持つ経験者。もう一人は、当初は家族 3人で入門されましたが、今はその情熱の火を絶やさず、お一人になっても黙々と道場に立ち続けている苦労人です。お二人とも、仕事や家庭の都合でどうしても修練に来られない日もありながら、限られた時間の中で楽しみながら、一歩ずつ着実に頑張ってくださっています。
そんなお二人の共通の悩みは「アラフィフの壁」、いわゆる記憶の定着……海馬との戦いです。
級別から「拳系別カテゴリー」への転換
1級合格という大きな節目を越え、いよいよ初段への挑戦が目前に迫った今、私は改めて総復習を開始しました。当初は級ごとの順序で進めていたのですが、どうしても名称や布陣の混同が解けず、進捗が芳しくありません。
そこで、指導のアプローチを切り替えました。級の枠を一度取り払い、拳系別のカテゴリーごとに、共通のルールを脳に再インストールする作戦です。さらにそこから、動きの「三つの捌き」で分類を深掘りします。
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体捌き(たいさばき)が中心: 流水蹴や屈身蹴など。
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手捌き(てさばき)が中心: 内受突や上受突など。
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足捌き(あしさばき)中心: 各種転身蹴など。
もちろん、実際の法形ではこれらは常に併用されます。しかし、情報量が多いアラフィフの脳内を整理するためには、あえてその技の「主軸」となる捌きを明確に定義し、そこを起点に他の動きを連動させていくプロセスが不可欠なのです。
「三つ子の魂百まで」――なぜ流水蹴を最初に学ぶのか
少林寺拳法の本領は、間髪入れず繰り出される「連続攻撃」にあります。がっちり受けて足を止めてしまえば、次の攻撃の餌食になる。だからこそ、相手の攻撃を力で止めるのではなく、触れさせずに「いなす(すかす)」。連攻が完成する前にその芽を摘み、確実な当身につなげる。その鍵を握るのが「足の運び」です。
常に足の母指球(前足底)で床を捉え、1動作で移動する。 基本として、前に出るときは後足で床を蹴り、退るときは前足で床を蹴って、身体全体を一気に移動させます。
例えば「流水蹴」。 「当身する側の蹴り足で床を蹴り、その初動で流水受をしながら、居着くことなく一気に蹴る」。これが本来の 1動作です。これを逆の足を動かしてから蹴る「2動作」にしてしまえば、床に居着いてしまい、相手の連攻に捕まります。
見習いや級の最初という極めて早い段階で流水蹴を学ぶ理由は、まさにここにあります。 武道には「三つ子の魂百まで」という側面があり、最初に間違った動作を覚えてしまうと、十年、二十年経ってもその癖が抜けず、苦労される方を多々見てきました。だからこそ、最初から少林寺拳法の生命線である「動歩一体(移動と打撃が同時であること)」の極意を、正しい「理」として身につけていただきたい――と私は考えています。
「鋳型」ではない「理」の体現 ― 単の時点で制する武道
当道院の指導は、単なる試験対策ではありません。試験では安全性を考慮し「逆突き」からの攻撃が主となりますが、本来の攻撃は「先ず順」からです。私は、試験用の布陣がすべてであるという誤解を門下生に与えたくはありません。
そのため、当道院ではあえて「三連撃を仕掛ける相手に対し、突天一を成立させる」という独自の修練を行います。攻者には順突き、逆突き、極めの逆蹴りへと至る「一筆書き」の連攻を指示します。
ここでの狙いは、相手の攻撃が「連」に至る前、すなわち「単」の時点で防御反撃を成立させることです。一撃目を上受し、二撃目の逆突きに対しては下受と内受を同時に行う。この時、母指球で床を蹴り、居着くことなく後屈に捌くことで相手の攻撃を「すかし」、間髪入れずに順蹴りの当身を成立させるのです。
この「突天一」を通じた稽古は、さらに他の法形へも応用されます。「仁王拳」の流水蹴や内受突も、本来は相手の「順突き」に対して瞬時に成立させてこそ本物です。法形の「形」とは、決して自分を閉じ込める「鋳型」ではありません。相手の動きに応じて、いかなる瞬間でも「理」を体現できるようになるための道標なのです。
「形」の先に、本来の姿を求めて
私は、級拳士に有段者の完成度を今すぐ求めているわけではありません。しかし、私はあえて深掘りを続けます。「級拳士だから上辺だけできれば良い」という指導だけはしたくないからです。
たとえ今は不器用であっても、最初から「本来の理」に触れ、正しい道筋を学んでほしい。私自身、師から「級のうちから、できなくてもいいから本来の姿を指導しなさい」と教わってきました。それは、一人の修行者として彼らを尊重しているからこその、私の願いでもあります。
家庭でも職場でもない、一人の自分に戻って壁を乗り越えていく。この道場は、そんな「大人のためのサードプレイス」でありたいと考えています。
「法形の理」の再定義 ― 審判講習会を経て
先日 3月 15日の審判講習会では、来年度からの採点基準の大きな改正が示されました。これからは「正しい攻撃に対しての、正しい防御反撃」が厳格に問われます。本来当たり前であるはずの「攻撃の質」が、改めて強調される時代になりました。
守者だけでも、攻者だけでもない。法形とは二人が呼応して成り立つ一つの「理」であるという、より俯瞰した視点。これが、これからの黒帯に求められるスタンダードになります。
試験のやり直しは「2回まで」。他人の動きを見ればその時点で不可(6点)という厳しい裁定ですが、「なんとなく」は通用しないからこそ、手にする黒帯には本物の価値が宿ります。
覚えられないなら、伝わるまで何度でも、私自身が指導の方法を変え、工夫を重ねる。 それこそが私の役目であり、私自身の修練でもあります。
二人の腰に黒い帯が巻かれるその日まで、共に歩み続けます。
そして――。 無事に初段に合格したあかつきには、道衣を脱いで、居酒屋でお祝いをしたいですね。 これまでの苦労話や、海馬との戦いの日々を笑いながら、楽しく酌み交わす。そんなひとときを共有できることもまた、大人の少林寺拳法の醍醐味だと思っています。
単に技をなぞって合格するだけでは、そこに真の自信や充実感は生まれないでしょう。初段の段階で完璧な動きを求めているわけではありませんが、その「本質」だけは知っていただきたい。本質に触れてこそ、少林寺拳法を「生涯修行」として、長く深く取り組んでいけると信じているからです。
【道院よりお知らせ】 千葉花見川道院では、40代、50代からの挑戦を全力でサポートします。 日常を離れ、心身を研磨する「大人のためのサードプレイス」へ。 「覚えられない」を「身体で理解する」楽しさへ。共に歩む仲間を募集中です。


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