末端道院長が8月に思う、少林寺拳法創始の目的——「自分で考え、動く人」を育てる。「拳の心」・・道院長コラム

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8月を迎えると、私たちはあの戦争の記憶と向き合うことになります。

惨禍の歴史を振り返るとき、特定の誰か一人を「犯人」として責めて終わらせても本当の学びにはなりません。私たちが本当に考えるべきは、「かつて日露戦争という危機を冷徹な計算と戦略で乗り切った組織が、なぜ太平洋戦争では根拠のない精神論に走り、国を破滅させてしまったのか」という組織の病理です。

これ、実は私たちの身近な生活や仕事でもまったく同じ構造が見られます。

例えば、普段は家から学校まで自転車で「15分」かかるある中学生の話です。 たまたま信号がすべて青で、運よく「10分」で着いた体験をした。すると彼は「自分は10分で走れる」と思い込み、毎日10分前に家を出て遅刻を繰り返すようになったといいます。「途中で信号に引っかかるかもしれない」という現実のデータ(15分)を無視し、奇跡的な成功体験(10分)を前提にしてしまう。これが「現実を見ない」ということです。

あるいは、経営難に陥った零細企業の社長の例えはどうでしょう。 原料の9割を大手企業(アメリカ)からの供給に頼って産業を立てているのに、その供給元と喧嘩をはじめ、「このままでは倒産する」とデータを出されている。それなのに「社員に精神力でハッパをかけたら売り上げは倍になる!遠くの提携会社(ドイツ)が助けてくれるはずだ!」と、自らの依存関係を棚に上げ、相手都合の希望的観測だけで事業計画(作戦)を押し通してしまう

かつての日本の指導層も、まさにこの「10分前出発の中学生」であり、「依存先に喧嘩を売り、他力本願の精神論で会社を潰す社長」そのものでした。

ここに、「事なかれ主義の人材育成」が招く決定的な落とし穴があります。

上からの指示や前例に従うだけの「真面目で勤勉な兵卒(指示待ち人材)」ばかりを育てると、マニュアル通りに動く平時は順調に見えます。しかし、いざ「想定外の危機」が起きた瞬間、自らアンテナを張って判断する習慣のない者たちは一瞬で思考停止に陥ります。「言われた通りにやったのに」「上がそう言ったから」と言い訳を重ね、状況が変わっても前例にしがみつき、手遅れになるまで誰もブレーキを踏めない——。 まさに太平洋戦争期、現場の参謀や官僚たちが「指示通りの書類作成や処理」に追われ、誰も「この作戦はおかしい」と言えず、組織ごと全滅へと突き進んだ最大の原因が、この「指示待ち・事なかれ主義の育成」にありました。

さらに五・十五事件や二・二六事件を起こした当時の青年将校たちは、いわば「自分たちこそが国家を救う正義だ」と自己陶酔した重度の『厨二病』でした。彼らは複雑な政治や経済の仕組みを無視し、「気に入らない奴を暗殺すれば世の中は良くなる」という幼拙な正義感に狂奔しました。 恐ろしいのは、その『厨二病』のメンタリティを持った世代が、年功序列とともにそのまま軍や国家の上層部(作戦課長や参謀)へと上り詰めたことです。自分の立てた作戦通りに世界が動くと思い込み、冷徹な現実データを「軟弱者の言い訳」と切り捨てて開戦へと突っ込んでいきました。

そして、この「熱狂と自己陶酔の病理」は戦後も形を変えて繰り返されます。 戦後生まれの「団塊の世代」は、若き日に過激な学生運動に熱狂し、自分たちの正義を振りかざして社会を混乱させました。そして時代が下り、その世代がそのままテレビや新聞といったマスコミの上層部や社会の中枢へと就いていきました。自分たちの偏った価値観や「空気」をメディアを通じて世の中に押し付け、異論を排除する構造は、形を変えた「昭和の軍部」そのものだったと言えます。

自らアンテナを張って現実を確かめず、「上の指示だから」「マスコミが言っているから」「みんながそう言っているから」と事なかれ主義で流される姿勢が、どれほど国や社会を危うくするか。

この人間の愚かさと組織の病理を、敗戦直後の満州で身をもって目撃されたのが、開祖・宗道臣でした。

「すべては人の質にある」

開祖が戦争の焼け野原から立ち上がられた原点は、ここにあります。 しかし、ここで注意しなければならないのは、開祖の説かれた「人づくり」や「自己確立(自分で考える)」とは、単に世の中に反発したり、国の歴史や伝統を否定して好き勝手に振る舞う「身勝手な個人主義」では断じてないということです。

開祖が求めたのは、不満をぶちまける「破壊者」ではなく、社会をより良く築く「建設者」の育成でした。

「力愛不二(力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力である)」 「自他共楽(半ばは自己の幸せを、半ばは人の幸せを)」

指示を待つだけの事なかれ主義を脱し、自分の頭で考え、足で立つ(自己確立)と同時に、他者や地域、そして国と共に生きる責任感(自他共楽)を持つこと。身勝手な感情や都合の良い思想に流されるのではなく、「この国と社会を本当に良くするためには何が正解なのか」という誇りと情熱を持って行動できる人間を育てること。それこそが開祖の目指した「人づくり」の神髄であり、国を破滅に追い込んだ「愚かな空気」に対する真のアンチテーゼでした。

翻って、今の私たちはどうでしょうか。

もし私たちが、「組織の維持」や「会員数を増やすこと」という内輪の都合(手段の目的化)に囚われているならば、それはかつて保身に走った事なかれ主義の組織と何ら変わりありません。「連盟のため」「組織の安泰のため」という内向きな目線からは、人を惹きつける光も、次世代の心を打つ力も生まれません。

私たちが目指すべきは、どこまでも「社会のため、将来の日本のために役立つ人間を育てる」という創始の原点です。

時代は大きな転換期を迎えています。ネットやSNSの表層的な情報、あるいはマスコミが作る「空気」に流され、自ら考えることを放棄しがちな若い世代だからこそ、道場というリアルな修練の場で「理合い(物事の道理)」を体得し、自分の足で立つ強さを身につける必要があります。

「奇跡や一時の熱狂に頼らず、現実を直視し、我が国と社会のために自ら考えて動く」

この時代を生き抜く本物の人間を一人でも多く社会へ送り出すこと。内輪の保身を捨て、日本の未来のために「人づくり」の道場であり続けること。8月という節目の月に、開祖の志を今一度胸に刻み、日々の指導に向き合っていきたいと思います。

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